○の○による○のための△ by A

有名なリンカーン演説のフレーズですね。○は人々(people)、△は政府(government)というのはご存知のことと思います。でも、ここ日本では、○を官僚、△を政治と置き換えるのがふさわしいところですね。なぜこのようなことを書いているかというと、前回の記事における公的医療機関と大学の関係を詳しく説明するためです。

10年前までは日本の医療はそれなりに充実していました。大きな病院、国立なんとかセンターとか、都立なんたら病院というようなところでは、心臓や脳などの重症の手術が行われ、地域住民の信頼を集めていました。しかし今、東西のナショナルセンター、国立癌センターでは麻酔医、国立循環器病センターではICUの医師が集団退職し、思ったような手術が組めないという危機に見舞われています。内科医が集団退職して病院を閉鎖というような記事はもう珍しくもありません。

これは大学医学部が公的医療機関を見放した結果であると書きました。では、大学とはどんなところか。大学の最高意思決定機関は教授会です。そのメンバーになることを許されるのは主任教授のみ。そして、主任教授を選考するのもまた教授会ということになっています。教授は各診療科に原則一人です。ということは、ある教授を選考する人は常にその教授の専門分野以外の人ということになり、本当は変なのですが、誰もがその事実には意見しません。

それはさておき、ある集団が自身の人事権を持ったとき、その集団は必ず暴走します。昔の陸軍がそのよい例で、最終的には国民の大多数が望まなかった対米戦争にのめりこんでいきました。今はまさに官僚がその轍を踏んでいます。そして、教授という職集団もまさに同じ構造になっているのです。

教授の教授による教授のための大学医学部。大学医学部は最終目標として優秀な教授をメンバーに入れて自身の存続、パワーアップを図りたい。そのためには、若い優秀な医師を育て、切磋琢磨させる必要があります。まさにそのために、地区の公的病院は格好の場所だったのです。ここでは売り上げのことや経営のことなど誰も言いません。ひとえに良いペーパー(学術論文)を書くことが条件です。加えて、臨床の力があれば最高です。更に、既存の教授に楯突くことがないことも大切でしょう。教授会を退職して名誉教授となった医師は、公的病院の院長として、それこそ目を皿のようにして、自分の病院に新しい教授候補がいないかどうかを調べていることでしょう。

同窓会などに出席すると、後輩の教授先生から、「うち(の同窓会)は何人の教授を作ったからみなが尊敬してくれる」とかなんとか、打ち明けられて、当惑することがあります。それって、自分で自分を褒めていることじゃないですか?教授以外は人にあらずと言った内容を、開業医の先輩に言う神経が半端ではありません。それほど、教授教信者とは恐ろしいものです!?

大学医学部は教授会の自己保存能で生きています。そしてそれが公的総合病院の質を高めていたのは事実です。しかし、公的機関の財政不足により、教授会の意図にはそぐわないものになってしまいました。それが医療崩壊です。

もともと、日本の高度医療がこのようなシステムで保たれていたことが問題と思います。今後、国民が望む医療体制を構築するためには、従来のシステムに変わる何らかの方法を考えなくてはならないでしょう。(さらにつづく)