学位の本当の意味とは by A

本当の意味を書く前に、ちょっと知っておいて欲しいことがあります。医学博士という学位はアメリカにはありません。アメリカのMDというのは、Medical Doctorの略で、日本では〜医師という場合の「医師」ということです。Richard Smith MDなどという場合のMDです。4年制大学を終えて後に入学する医学部(大学院、4年)を修了し、国家試験に合格すると得られる称号ですから、日本における医学部卒業したてと同等になります。

一方、PhDというのは、Doctor of Philosophyの略で、修士課程を修了して更に博士課程の大学院を出て論文を書けばもらえるという点は日本の医学博士に似ていますが、こちらは一定の単位を取らなければならず、ということは、論文博士のようなことは許されていません。博士論文は「thesis」と呼ばれ、一冊の本が出来るくらいの量になることもしばしばです。アメリカで、MDでありながらPhDも持っているドクターも居るには居ますが、ごくごくわずか、1パーセントも行かないでしょう。

日本の大学医学部医局において、なかば恣意的に、主任教授の思いつくままに出せる学位たる「医学博士」に相当する学位は、世界広しといえども、日本にだけしか存在せず、かなり特殊なものです。

学位を出す権利を有するのは医学部の主任教授です。主任教授がノーと言ったら、たとえノーベル賞級の研究成果でも学位とはなりません。逆に、イエスと言ったら、ゴミのような(失礼!)全く意味のない研究でも、学内の紀要(どこの雑誌にも採用されない論文を載せてくれる雑誌)に投稿して、晴れて博士論文となります。

このような医学博士の成り立ちを見ると、その意味は自ずと明らかでしょう。教授の教授による教授のための医学部をそれらしく運営するためのアイテムの一つということ以上でも以下でもありません。

このように書くと、筆者は学位に恨みでも抱いているのかと誤解されそうですね。決してそのようなことはありません。それどころか、学位のプラス面を決して見過ごしてはいけないと思っています。

といいますのも、医師にとって最も大切な卒後教育を受けさせるための、手段の一つになっていたからです。大学を卒業し、医師免許を得たとしても、いきなり医師として通用するわけではありません。各専門分野で一定の修練を積まなければならない。そのためには、昔から、大学医局に入局するのが一般的でした。そして、学位とは、実は、医局員が一定の修練を経たということの証として、与えられたものだったのです。B先生が書かれているように、一部の病院は管理職に医学博士号を要求するようですが、それにはこのようないきさつがあったのですね。

しかし、専門医制度が出来てから、事情は変わりました。実際のところ、眼科専門医を取得することにより、眼科医として働くことのお墨付きは得られます。今や、専門医資格は厚生労働省すら認める、公的な資格となっています。いわば、従来の医学博士号が専門医資格に取って代わったこととなっています。こんな中、あえて医学博士を取るということは、よほどの変わり者以外思いつかないのではないでしょうか。

ということで、B先生のお考え「開業医に学位は要らない!」に賛成いたします。それどころか、「臨床家は学位を取ってはいけない!」というくらいに思ってもいいのではないでしょうか。学位が基礎研究を重視している以上、臨床家にとって時間の無駄になることがあります。

しかし、「そんなことはない。あなたが臨床家として働いても、目の前の患者を治すだけだ。医学研究により、世界中の患者の福利に貢献することができる!」という声が聞こえてきそうですね。金沢大学眼科教授をされていた河崎一夫先生はたしかこのような檄文を朝日新聞に掲載しました。

こうなると水掛け論になります。しかし、私はこの考えは、大学関係者や臨床の苦手な医師にとって好都合な詭弁だと思います。それでなくても医師不足の折、国家は医師免許を与える際、目の前の患者を助ける資格と考えているはずです。逆に、大学での出世のため基礎研究に没頭するあまり、臨床の実力がつかず、医師としての本来の仕事が出来ない人がどれほど多いことでしょうか。この点は福島先生のご意見に賛成です。医師は目の前の患者を助けることに邁進し、基礎研究は理学、薬学、農学出身の専門家に任せるべきでしょう。

医師が中途半端に基礎研究をする習慣は日本独自のものです。アメリカでは大学でも眼科学教室のスタッフが自分で基礎研究をすることはなく、フェローなどの研究補助職員に任せるのが普通です。それもなしで、臨床のみに集中している先生も多いのです。まず臨床、興味があれば人を雇って基礎研究、というスタンスです。

ただ、臨床研究は医師にしかできません。臨床上の新しい事実を発表し、学会で共有していくという考え方、技術はとても大切です。日本では卒前教育でそのあたりのことが十分ではありませんので、卒後教育にある程度組み込まなければならないでしょう。大学医局とは無関係に、一般の勤務医や開業医が自主的に学会活動に向かうような動機付けがあればよいのですが・・・。