基礎研究は誰がやれば良いのか? by B

A先生の力作の後を受けて、もう少し同じネタを続けさせて頂きます。医師が中途半端に基礎研究をする習慣は日本独自のものだったのですか!?前回のA先生のブログで初めて知りました!

僕が補足で書こうと思っていたことは、

「臨床一本でやるつもりなら基礎研究は不要だが、誰かが基礎研究をしなければ医学の発展もないし、さてどうしたものか?」

ということでした。医学部を卒業して最初から基礎の教室に入る先生など、本当に極僅かです。(私の学年では、首席の男が解剖学教室に入りました。その1人だけだったと記憶しております)。A先生の仰るように、基礎研究は他の専門家に任せた方がすっきりするかも知れませんね。

昨日、研究のためアメリカに留学することになった同期の外科の先生と送別会がてら飲みに行ってたのですが、アメリカでは年棒40000ドルの契約で行き、それでは生活が出来ないので貯金を切り崩してやっていくそうです。アメリカでは研究助手のような扱いなのでしょうかね?

丁度、ブログのネタと重なるので

「何で大学院に行ったの?」

と素朴な疑問をぶつけると、

「まあ皆行くしな〜。外科の世界は眼科と違って将来の開業も考えにくいし、大学の方針に従うのみやわ〜」

とのことでした。彼は、癌の研究をしており、超早期発見できる検査法などを追求しているそうです。そして、案の定、外科医でありながら手術の世界からは数年遠ざかっているそうです。ラボがどうやらこうやら・・・という話も聞きましたが、そっちの世界は生き馬の目を抜くような世界らしいです。(^^;)

彼は非常に優秀な男で、大学は私と同じヨット部(ちなみに私は競馬に溺れて、途中でクラブを辞めちゃいましたが・・・)でバリバリのキャプテンでした。西医体でも、「○○大学に△△あり」と言われていた男気満開のナイスガイです。

彼だけに教授受けも良く、王道を行ってるのでしょう。アメリカで一山当てて、凱旋してくれることを祈っております。

しかし、一方で日本は医療崩壊が始まっております。医者になってから10年以上経ち、バリバリ臨床で活躍せねばならない時期にアメリカに行って、年収400万円で基礎の研究を行う・・・。やっぱり違和感を感じてしまいます。アメリカの世界トップクラスの外科医のもとに修行に行くというのなら合点が行きますが。

今までの議論から、やっぱり、教授を頂点とする医局講座制が限界に来ていると考えております。「臨床・研究・教育」をワントップで全てこなそうという発想が時代と合わなくなってきているのでしょう。

体育会系男気満開の彼は、臨床一本をバリバリやり続けて頂点に立つべきなのです。

大学医局は臨床教授と研究教授と教育教授が居て良いんじゃないでしょうか?

ちょっと妄想をしてみます・・・

臨床教授は、バリバリの臨床家で、臨床研究において、学会を引っ張っていく存在。屈折矯正、網膜、角膜、神経眼科、緑内障・・と専門分野によって何人いても良いです。難治疾患もお任せあれで、大学附属病院の外来でも活躍します。

研究教授は、基礎出身でも理学部卒でも何でも良くて、研究のエキスパートです。大学の存在意義は「研究」であることも事実ですから、この教授も臨床家と同程度に金銭的に優遇されるべきです。年がら年中、専門分野の研究とペーパーのことばかり考え、大学院生や総合大学、産学連携で来た企業の研究員などとともに、精力的に研究を行います。大学発ベンチャー会社を作ったりして、一山当てることも可能です。

教育教授は少し地味ですが、まさに学校の先生です。教え子(医学生)が立派な医者になるように、カリキュラムを組み、講師の選定も行います。給与は今の大学教授くらい。

で、卒後数年の修行期間を経たあと、

「おれ、やっぱり臨床に向いてへんわ〜」

という先生は研究教授のもとで、基礎研究医として頑張る。臨床に明らかに向いてないと思われる先生は、こっちの分野が自分の肌に合っていれば、うつ病にもならず、やりがいのある人生を歩めるでしょう。

という訳で、A先生の言われる通り、基礎研究は臨床とは別のくくりでやった方が日本医学界が繁栄するような気がします。中途半端が一番ダメだと思います。将来、医学部の定員を増やすという愚策が実現しそうですが、ついでに大学医局改革も行い、臨床医は名臨床医を追求するカリキュラムにし、基礎研究医も増やす方向にすれば帳尻が合うかも知れませんね。その為には、国の医療費を増大させることが、必須条件になるでしょうね〜。