医院継承について by B

今回は継承ネタで書いてみます。

現在、浅田次郎の名作「蒼穹の昴」がNHKでドラマ化されてます。原作を読んだのは医学生時代か研修医の頃でしたかね〜。主人公チュンルのど根性と運命の切なさに感銘し、感動したのを思い出します。

ドラマは現在の所、非常に良い出来で、楽しく見せてもらっております。ただ、「坂の上の雲」のドラマ化も滅茶苦茶期待しておりましたが、司馬遼太郎の原作には全くなかった反日場面をドラマで作為的に挿入しておりました。(まだ途中ですが)全体としては非常に良く出来ていたのに、あの反日場面でドラマを地に貶めました。NHKは故意か無意識か、「日本は悪」という番組を作ってしまう性があります。蒼穹の昴も油断は出来ません。


蒼穹の昴」において、西太后と光緒帝(西太后の甥。血は繋がっていないが、実際上は母子の関係)の権力争いが出てまいります。本当はお互い憎み合っているわけではなく、両者ともに清の将来を真剣に考えているのですが、やはり世代が違うとなかなか意見が一致する事が出来ず、揉めてしまい、血で血を洗う抗争に発展していきます。

本題の医院継承ですが、親子の継承というのは、身内であるだけにストレートに感情がぶつかってしまうので、なかなか難しいものだと思います。

医院継承も、西太后と光緒帝に比べれば可愛いものですが、一応「権力争い」の一つです。

以下は、私Bが昔書いてた別のブログからのコピペです・・・。あの頃は本当に悩みが深かったっす・・・。 

(引用開始)
私は開業医の息子である。当然、父は眼科開業医。さらに言えば、祖父も眼科開業医である。つまり、私が継承すれば、3代目という事になる。

自分の中では、眼科医になるのは宿命的なものと捉えていた。医大を卒業するときに、眼科を選択するのも、「高齢化社会におけるquality of visionに貢献したい。」という気持ちがなかったわけではないが、どちらかと言えば、家が魚屋なら魚屋になるように「家業を継ぐ」という意識の方が強かった。

いざ、開業医の息子としてこの業界に入ると、羨望に近い眼差しで私を眺める人が結構多い。「帰るところがあってええよなあ。」「人生保障されているよなあ。」

しかし、そこまで良いものではない。

まず、継承開業では場所が選べない。現在の医院の所在地は人口が減ってきているのに、眼科開業医はきっちり飽和状態だ。まあ、逆に新規開業をしたがる先生もいないだろうが・・。

現在の医院は約90坪。半分は2代目の敷地(25年前建築)、もう半分は初代の敷地(約50年前!!)だ。その建物をそのまま使うなら資金面では新規開業に比して格安になろうが、そういう訳にはいかない。特に50年前の方は、姉○建築士ではないが地震がくれば一発で崩壊と建設会社に人に脅されているし・・。これを改修しようとすれば結構金がかかるんです・・。

また、なんといっても最大のネックは外野の声がうるさいことだ。外野というよりは身内なので内野だが。

医療というのは伝統工芸の伝承とは違い、ひたすら進歩する科学技術の一種であり、25年前と現在では、全く様相が違っている。しかし、若干伝統工芸っぽい部分も残されており、その人が25年前に一番良いとされていた事を現在でも頑なに守り続けていても、それは罪ではないし、それはそれで問題なく患者さんが治れば結果オーライだ。まあたまに、昔ちょっと流行ってすたれたものが、今になって大注目という事もある。

という訳で、自分のやり方で25年間診療行為をしてきた人は、違うやり方を導入しようとすると非常に面白くないようなのだ。特に、最新の医療を提供しようとすればお金がかかりますからね・・。

実際、初代と2代目は大喧嘩をして、勘当状態になった・・。初代の時代はルーペで診察をし肉眼でオペをしていたので、2代目が高いお金を払って、スリットナイフや手術用顕微鏡を買うのが、我慢ならなかったようだ。私も被害を蒙り、喧嘩後はお年玉をもらえず、枕を濡らしていた・・。

そして、歴史は繰り返される。親にとって、子供は、頭の禿が進行してきても子供。やはり自分のコントロール下におきたいんですね。私も既に何度か大喧嘩をした。

大喧嘩についてはおいおい公開していきたいと思うが、他の人が思うほど楽なものではない。

それに、はやっている眼科の継承ならともかく、どちらかというと、全盛期をとうに過ぎ去り、年々患者数が減少している状況での継承だ。まあ、はやっていないからこそ最初に考えていたよりも、早めに帰ることにしたのだが・・。あと資金面も、三代続く眼科開業医ならさぞかし巨万の富を蓄えてそうだが、全然そんなことはないのだ。私自身もその辺の底力に内心期待していたのだが、びっくりするほど資産がなかった・・。これも、遠因は初代と2代目の勘当にある・・。

少ないとは言え、患者さんがついているのは親に感謝しなければいけない。何回かの大喧嘩の末、学んだ事は「常に院長(親父)とコミュニケーションをとり、院長のプライドを保ちつつ、新たな方向に舵をきっていく」ということだ。新規開業ならいきなり一国一城の主だが、継承開業なら主ではあるが、好き勝手はできない。このへんの間合いが難しい。(引用終わり)

それこそ継承絡みの親子喧嘩は、色々な方面から話を聞きます。やっぱり難しいんですね・・。

要するに、「子供をコントロール下に置きたい大先生」と「古いやり方を革新して、自分の好きなようにやりたい若先生」が火花を散らしてしまいます。

こういう時こそ、大先生の妻であり、若先生の母の出番です。ここで「母の緩衝作用」がないと、本当に勘当ものの大喧嘩に発展する可能性もあります。今思い返すと、初代と2代目の激突も、「母の緩衝作用」が上手く作用しなかったのが原因です。


でも、良く考えたらBは、「流行っている眼科の継承」の話は身近に聞いたことはございません。だいたい、普通のクリニックは子供が大きくなってくる頃には、斜陽の道を辿っておりますので・・。

北海道のE眼科や南九州のM眼科、I眼科などはどうだったのでしょうかねぇ?

あと、Bが思うもう一つ大切なポイントは、世代間の技術の違いが大きければ大きい程、喧嘩に繋がりやすいです。

すなわち、当家の場合ですと、初代はマクロでICCE、2代目はマイクロでECCE、3代目はマイクロだがPEAと、見事に世代間で技術革新が起こっておりました。こうなると、旧世代と新世代で同じ場所で仲良く診療を行うのは難しいです。そう考えると、A先生と後継者の先生の世代間は「マイクロPEAの黎明期→成熟期」で、革新をまたいでいないので、ちょうど良い年回りのような気がしてまいりました!

当家3代目と4代目間(現在8歳)には大きな技術革新が起こりそうな気がしますし、また揉めるのでしょうかね・・。現時点では、子供が継承の年頃になれば、あっさりと身を引き、海外旅行三昧の優雅な日々を送る事を夢みているのですが、母曰く、親父もそんなことを言ってたらしいので、私自身も実際にその年ごろにならないとわかりません!

大きなお世話かと思いますが、A先生のコメントに反応して、数年前の事を懐かしく思い出し、つい書いちゃいました〜。すみません。

勿論、現在は、当家もすっかり落ち着きを取り戻し、上手くやっております!