お伊勢参り by B

7月18日、19日と、海の日の連休を利用して伊勢神宮にお参りに行って参りました。

「(今はやりの)パワースポットに行ってパワーを頂く!!」というような理由ではなく、もうそろそろ新居が完成致しますので、新居に置く、神棚を買いに行ったという訳でございます。

軽い気持ちで行ったのですが、「パワースポットブーム」のせいか、伊勢神宮は沢山の人が参拝しておられました。また伊勢に向かう高速道路(伊勢自動車道)が民主党の「高速道路無料化」政策の実験道路に指定されている影響もあるのか、大渋滞でございました・・。

伊勢神宮へのお参りは久々でございましたが、あの有名な西行法師の一句、

何事のおはしますかは知らねどもかたじけなさに涙こぼるる

という歌(何がいらっしゃるのかは知りませんが、有難さに涙がこぼれてきます)が否応にもなく、頭に思い浮かんで参ります。正に、日本人の心のふるさとでございます。

おそらく外国の方が「日本で一番有名な神社」と聞くとさぞかし華美かつ壮麗な御殿を想像されるでしょう。ところがどっこい、実に、地味かつ簡素な建物でございます。正殿は、御簾の向こうでほとんど見えませんが、風が御簾を巻き上げると少し見えます。「何が(誰が)いらっしゃるのかはわかりません」というのは西行の正に本音。凡夫であるBも全く同じ感想でございます。しかしながら、「日本神話の始まり」「皇祖神」である事を頭に思い描くと、もうあきまへん。「かたじけない」思いが胸に迫ってまいります。ひっそりと主張することなく、2000年もの間、変わらぬ姿を保ち続ける。八百万の神々がいる寛容な「和」を持って貴しとなす国。まさに、これが大和心でございますね〜。物や形にとらわれずに精神美を継承する。むしろゴテゴテと華美にする方が野暮なのでございます。

有名なイギリスの文明史家トインビー博士は、伊勢神宮参拝の折、

Here, in this holy place, I feel the underlying
unity of all religions.
Arnold Toynbee
29 Novemnber, 1967
(この聖地において、私はあらゆる宗教の根底をなす統一的なるものを感ずる。)

と記帳されました。もともとイギリスも妖精の存在のように「ありとあらゆるものに神は存在する」との考えだったらしいので、日本の神道のありようを理解しやすい民族なのかも知れませんね。

平成25年には、20年に一度の「式年遷宮」が行われます。第1回目が持統天皇4年(690年)、次回は第62回目だそうです。20年に一度、正殿を移動し常に新しい状態を保ち続ける・・この永遠性を保ち続ける「遷宮」というシステムを最初に考え出した人は凄いです。またこのシステムには「物への執着」も感じ取れません。「古くなったら新しくする。それでええやないか」というある意味合理的な気持ちと、「過去は水に流して、気分一新頑張ろう!」という前向きな気持ちも感じますね。総合すると、日本民族のたくましさ、したたかさを感じます。

君が代は千代に八千代に・・」の歌通り、この遷宮が続き、伊勢神宮が永遠に新しさを保ち続ければ、日本人も永遠に「心のよりどころ」を失わずにすみます。過去の歴史を振り返っても、国難に会った時、「天皇」の存在が日本国民の心を一つにします。その要となるのが伊勢神宮の存在でございます。(続く)