戦後リベラル平和憲法日本の行き着いた象徴的結末 by B

先日、末っ子の幼稚園の運動会に行ってまいりました。

初っ端の園長先生のご挨拶で、「ビリは恥ずかしいことではありません。ビリがいるから一番がいる。ビリは悪いことではないんです。」と、さかんに強調されておりました。

私は、「戦後リベラル派が集う日本教育界の象徴的な言葉だな。」と忸怩たる思いで聞いておりました。

物心がついたばかりの幼稚園時代から「ビリは恥ずかしくない」と教えると、果たしてガッツのある人材に育つでしょうか?競争に負けて恥ずかしい、悔しいと思うからこそ、「次こそ勝ったる!!」と奮起、努力し、人間として成長するのです。

前から度々ぼやいておりますが、小生の子供たちが通う私立学園は左翼リベラル教育が横行しております。国旗など絶対掲揚しませんし、君が代も子供たちに教えようとしませぬ。まぁ、教育界全体がいまだに左翼勢力が主流を占めておりますので、こんな学園、ゴチャマンとあるでしょう。そしてこのような教育体制が日本を弱めていったことは最早、火を見るより明らかでございます。


今回の尖閣諸島問題に対する日本国政府の対応、怒りを感じておられぬ方は、少数派ではないでしょうか。

平和好きのマスメディアも、さすがに今回は中国の理不尽な行為に対し、不愉快さを隠しておりませぬ。

私は、民主党は旧社会党議員を多数含み、左翼リベラル派が主流を占める党であることを存じておりましたので、昨夏の衆議院選挙では民主党に票を投じませんでした。残念ながら民主党が政権を奪取いたしましたが、一部を除き、大多数のマスコミは拍手喝采を送っておりました。

その後、ルーピー鳩山が親中反米を提唱、仕分け作業で防衛費も槍玉にあげ、権力の亡者、小沢一郎は子分を多数引き連れて、中国に深々と頭を垂れに行きました。その後、中国のいいなりになって、天皇陛下の1か月ルールを捻じ曲げ強引に習近平を陛下にあわせ、ルーピーハチャメチャ外交で沖縄基地問題をグッチョングッチョンにした後に就任した管直人は親米路線に転向しましたが、韓国に謝罪談話を発表いたしました。更に中韓に配慮して閣僚の靖国神社参拝を禁じましたね。

私はこれら全ての政治活動に対し、怒髪天を衝く勢いで怒り、悲しんでおりました。しかし、朝日系列をはじめとするメディアはこれらを高く評価しておりました。私のような人間から見ると全て間違った行為ですが、左翼リベラル人からすると、正しい行為に思えるようです。

小沢一郎が真に日本を愛する政治家であり、そのうえで胡錦濤にへりくだっていたならば、何故、この状況で中国に飛び、打開を図ろうとしないのか?今まで築きあげてきた中国とのパイプを生かす絶好の好機です。ルールを曲げてまで天皇陛下習近平に会わせたのは、日本の国益に適うと考えたからではなかったのか?

中国を刺激するのを避けるために、管直人は全閣僚に靖国参拝を禁じたのではなかったのか?

とは言え、民主党だけを槍玉に挙げるわけにはいきません。自民党総裁の谷垣氏は「捕まえるから悪いんだ。強制送還にしてウヤムヤにすればよかったんだ。」とベクトルのずれた事を言い、保守派から冷たい視線を浴びております。即ち、安倍晋三など、一部の保守派議員がトップにいない自民党が政権を運営していたなら、現在の政府の対応とそう差はなかったでしょう。であるからこそ、自民党もダメなのです。

毅然とした態度を取り、力には力で対抗することを忘れてしまった国家は、領土的野心の旺盛な国家の餌食になるしかないわけです。

現在、中国は貪欲に領土拡張を目指し、日本だけではなく、様々な国とトラブルを起こしております。

白村江の戦い、蒙古襲来の際は、外圧の襲来に対し、常に毅然とした態度を取り続けてまいりました。今思い返せば、その時の政権(天皇家にしろ、北条家にしろ)は、まだ瑞々しさがあり、闘う姿勢を忘れていなかったのでしょう。

一方、黒船襲来時の時の政権であった徳川幕府の対応は、現在の政府の対応とよく似たものでした。(西郷隆盛大久保利通坂本龍馬高杉晋作木戸孝允などの傑物が明治維新を起こしてくれ、窮地を脱することができましたが、世界史上では「奇跡的」とされております。)

即ち、政権与党が自民党から民主党に変わったとはいえ、現在の政府は幕末の徳川幕府と同様に、老いさらばえていると言えましょう。数百年後の歴史家から見れば、昨年の「政権交代」などは、歴史の転換点には決してカウントされません。おそらく、戦後「リベラル平和憲法時代」とでも一括りにされているのではと推測致します。

今回の事件は、戦後戦後リベラル平和憲法日本の行き着いた象徴的結末と言えましょう。あの憲法に雁字搦めにされ、政治家達は身動きがとれなくなっております。

少々長くなりますが、日本国憲法前文を引用いたします。

日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたって自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないようにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであって、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。

日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。

われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであって、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。

日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。

太字エリアに注目して頂きたいのですが、「世界中で日本国以外は、平和を維持しようとしている」と言う事が前提になっております。現今の状況で、中国や北朝鮮がそんな上等な国家だと言えますでしょうか??

再三このブログでは指摘しておりますが、この憲法は日本人自らの手で作り上げたものではなく、敗戦後米国の半植民地だった時期に、米国から押し付けられたものでございます。

今回のように領土的野心が明らかな傲慢国家が理不尽な事をして来ても、この憲法を変えぬ限りは、小田原評定を繰り返すばかりで、いつまで経っても日本は毅然とした態度を取れないでしょう。

今回の一件で、唯一の明るい出来事は、私のような右寄りのひねくれ者だけではなく、全国民が国防の重要性を認識したことです。

日本国憲法が制定され64年が経とうとしております。この事件を契機に、憲法改正の機運が高まる事を切に願っております。

因みに、大日本帝国憲法が制定(1889年)されてから56年後に、日本は大東亜戦争アメリカの言い方では太平洋戦争)に敗れ、一度滅びました。大東亜戦争の敗因分析は多数されておりますが、結局は肥大化した官僚組織である軍部の組織疲労に集約されてまいります。二二六事件(1936年)が成功し、所謂、昭和維新が成っていれば、あの敗戦はなかったと考える識者は多数おられますし、私もそう思う一人でございます。(また別の機会にじっくりと書きたいと考えております。)

時を同じくして起こった、検察の証拠改竄事件も、戦後日本の老朽化の表れです。尖閣諸島への対応と根っこは同じ所にあります。

今はやりの坂本龍馬のお言葉をパクらせて頂きますと、そろそろ日本を洗濯しなければ、子々孫々に顔向けできぬ、取り返しのつかない事態になってしまうかも知れません。

憲法を公布し、新たな瑞々しい日本を創造するべきです。我々に出来る事は憲法改正に積極的な政治家、政党に投票する事ですね。憲法改正を争点に掲げ、政界再編し、国民に信を問うべきであると考えます。