とある飲み屋での会話から考えたこと・・・ by B

先日、友人と飲みに行った際、少し論争というか、友人が気色ばんだ場面がありました。因みに友人は医者ではなく、自分で起業して社長をしております。持ち上げるわけではないですが、彼は心根が優しくかつ熱い心を持った、なかなかの人物であります。まぁ、私に言わせると、少し堅物すぎるので、もう少しくだけた方がもっと良いと思いますが。

彼と飲みに行って、政治系の話に及ぶと、二人の考え方の違いが浮き彫りになります。

即ち、彼は私の言葉でいうとリベラルであり、私が永住外国人参政権問題や選択的夫婦別姓問題、尖閣諸島問題などについて、熱く語りだすと、彼は「別にええやん」となるわけです。

酔っぱらっていたからか、何故そのような話になったかは記憶にないです。確か、彼が自分の(経営)理念について熱く語っていたような気がしますね。

彼:「おまえ、医者やなかったら、どんな職業に就きたい?」

B:「オイラ、政治家になりたいな〜。」

ここからどういう話になったかは記憶にないっす。

B:(お寿司屋さんの大将と女将さんに向かって)「まぁ、僕は右翼で、彼は左翼っちゅうことですわ〜。」

すると、友人は気色ばんで、

彼:「おまえは何で、中国の船が尖閣諸島に来たら腹がたつんや?」と言い出しました。

B:「いや、そら、自分の家に他の人が急に断りもなく入ってきたら、怒るやろ?」

彼:「アメリカやったら、ええんか?」

B:「アメリカでもあかん。」

彼:「おまえがそんなこと言っても何も変わらへんやんけ。」

B:「そやけど、日本人みんなが、そう考えてほっといたら、どんどん国土を削られていくやんけ。今、こうやって楽しく生きていけるのもご先祖様が闘って日本を守ってくれたからや。自分の国は自分で守らなあかん。」

彼:「俺は、そんなだいそれたことを考えず、自分の家族や友人が(自分の出来る範囲で)幸せになれるように努力してるんじゃ。一緒やろ!!」

少し、彼は怒っているようでした。

何となく、Bの発言のなかに、彼を責めるニュアンスがあったと彼は感じたようでございます。そして、Bは、彼の口調に意外性を感じつつも、「それもそうかも知れんな」と感じたわけでございます。

そしてBがよく使う「右翼」「左翼」について、もう一度、自分なりに整理しようと思ったわけでございます。

時は、「過去」「現在」「未来」の3つに分類されます。言うまでもなく「保守」とは、「過去」に立脚して「現在」を良くして行こうという考えであり、対する「革新」とは過去(伝統)を否定もしくは嫌悪(軽蔑)し、「こうすれば「未来」はよくなる」という理想に立脚して「現在」を変革しようという考えと言えましょう。

フランス革命史において、あまりにも有名な話ですが、王政を支持する王党派、ジロンド派が議会の右側にすわっていたので「右翼」、王制廃止を訴える共和派、ジャコバン派が左側に座っていたので「左翼」と呼ばれるようになりました。

一般的に、保守系(現実的)の考えだと「右翼的」となり、革新系(理想的)の考えだと「左翼的」ということになります。

私もよくこのブログで「右寄り」だの「左寄り」だの独りで言っておりますが、人間の生理として、「右翼的・保守的な自分」と「左翼的・革新的な自分」が両者併存しているものですから、はっきりと一人一人の人間を「右翼」「左翼」で分けてしまうことは不可能なことでございます。強いて分けるならば、「程度の差」でしょう。

また、坂本龍馬は、幕府にとっては「倒幕」を目指しているため、革新的な発想の危険人物になりますが、「大政奉還」によって徳川家を温存しようと画策しておりましたので、関ヶ原の戦い以来の徳川家に対する怨念を晴らそうとする薩摩(島津)と長州(毛利)にとっては、保守的な考えととらえられたでしょう。総合的に勘案すれば、やっぱり「革新的な人物」であったと思います。私が日本人偉人のなかで、最も尊敬する西郷隆盛は、それこそ過激な倒幕論者であり、徳川家から見れば極左的発想の持ち主です。明治になってからも「廃藩置県」を断行し、当時の支配階級であった武士の特権を全て奪い去り、真に革命的なことを成し遂げました。やったことから考えれば、「革新的な人物」になってしまうわけですが、西郷隆盛を左翼的な人物に分類するのは、違和感があります。ここが我が国、日本独特のものの見方で、「天皇」に対する考え方が「保守・右翼」「左翼・革新」の分かれ道という考え方もありますね。昭和の時代はそれによる分類が幅をきかせていたようにも思えます。すなわち、天皇を君主と抱く日本の国柄を維持したい方は「保守・右翼」、天皇(制)をなくしてしまい、新たな国体を作成したいと考える方は「左翼・革新」です。それで行くと、西郷隆盛坂本龍馬もバリバリの右翼といえましょうし、日本人であるならば、ほとんどの方が(無意識下でも)天皇を君主とする日本国に対して不満を抱いていないでしょうから、「保守・右翼」グループに入ってしまうと想像いたします。


そして時代が進み、現在ではもはや、「天皇や皇室を打倒し、真の平等社会を建設する!!」との主張はほとんど耳にしませぬ。現在にフィットするように右翼と左翼の違い(=現実主義と理想主義の違い)を考えると、軍備に対する考え方の違いが一番鮮明になります。即ち、現実的に、過去と現在に照らして、「国土を守るためには軍備が必要だ」と考えるのが右翼・保守的発想。未来の理想に燃え「戦争がこの世からなくなる時代」を目指すのが左翼・革新的発想。

即ち、保守・右翼、革新・左翼というのは、時代や、見る人の立脚点においても変わってくるものですね。

まぁ、軍備に関しては保守的発想、外国人参政権に関しては革新的発想という方も勿論おられるでしょう。つまり右翼とか左翼などのレッテル貼りは何の意味もなさないという事でございます。

一個人同士ならば、右翼であれ左翼であれ、その問題に対して、過去と現在に立脚して現実的に考えるか、現在と未来に立脚して理想的に考えるかの違いであり、「現在をよりよくしたい」という思いが共通していれば良いという事でございます。

ただ、現実主義と理想主義は、根本的には相いれませぬ。そこを政治家たちは上手に舵取りをして、国民をよりよき社会へと導いていかねばなりません。

どちらが正しいかは、永遠に答えがでないでしょうから、どちらからも「ええとこどり」をして行かねばなりませんね。その為に、Bは、各政党がそれぞれ旗幟を鮮明にすべきであると思うのです。

即ち、共産党社民党は明らかに左翼・理想主義であります。そして、「たちあがれ日本」「日本創新党」は右翼・現実主義であります。いずれも思想信条の違いがはっきりしていて心地よいです。

民主党自民党は(みんなの党も)、程度の差はありますが、そこの旗幟が明確にされてない。自民党は保守層に支持を訴える方向に行くべしと今さら気付いたようですが。

という訳で、いつもと同じ結論でございますが、ガラガラポン(政界再編)が必要というわけでございます。