基礎研究の担い手 by A

B先生、こんにちは。先生の書かれた「妄想」、実はアメリカの大学の眼科学教室はその通りの構成になっているのですね。先生の妄想力!?も見上げたものです。

私が留学したのはアメリカのとある大学の眼科です。主任教授(Professor and Chairman)は角膜専門で、その方以外に教授(Professor)や準教授(Associate Professor)が何名もいて、神経眼科、網膜手術、内科的網膜、緑内障、小児眼科、角膜移植などの分野がありました。これらのスタッフはすべてMDです。MD以外に眼科所属のPhD(非MD)も2名おられました。一名は角膜、もう一名は眼炎症の研究をされていました。

事務的なことを司る人は別におり、アドミニストレーターと呼ばれます。日本の教授に相当するのは主任教授ですが、それ以外の教授も自身の配下のフェローの採用人事や研究予算では独立しています。たとえば、NIHからの研究予算は各スタッフ個人についており、医局でプールされるようなことはありません。予算の取れる、研究実績のある教授は、眼科内でも大所帯を構えることになります。もちろん、企業からの研究費を受け入れるのも個人です。

主任教授と言っても人事権、予算の配分権がある訳ではなく、もちろん、学位の授与権などという、不公正なこともなく、ましてや、外の病院のスタッフを決めるなどありえません。

全体の統括という業務だけですので、誰もがなりたいというわけではなく、どちらかというと敬遠されています。若手で臨床、研究にばりばり打ち込みたいという先生は決して主任教授にはなりません。定年前の名誉職として、あるいは、ユダヤ系やマイノリティで特に目立ちたがりという人がなります。

先生はARVOに行かれたことはありますか?この学会は本名をAssociation for Research in Vision and Ophthalmologyといいますから、「眼研究学会」とでも言うべきものです。これに参加している人のうち大半はMD以外の研究者です。

日本でも同じようににするにはどうすればよいでしょうか?まず、現在の日本臨床眼科学会を日本眼科学会と改称し、臨床医が臨床の疑問を語り合う場にします。本来、「眼科学会」というのは眼科を対象にしたということですから、臨床についての議題でないとおかしいのです。そして、今の日眼を「日本眼研究学会」とでもして、眼に関する研究ならば参加者の経歴、職業を問わないこととします。大学眼科のみならず、眼科系企業、医学部基礎の教室、理学部、農学部などからの演題も大歓迎とします。

そのためには、有力大学眼科回り持ちの運営システムを根本的に見直さなければなりませんが・・・。

眼科医が集まって眼の基礎研究を議題にしても、それこそ中途半端な内容が羅列されるばかりとなり、子供の学芸会のようにならざるを得ません。今の日眼は、それをごまかすため、シンポジウムと称して臨床のありきたりの演題も並べており、どちらかというとそちらで集客しようとしています。運営方針に無理がありすぎます。

日眼雑誌も酷いことになっていますね。「日本の眼科」誌と合併して、ニュースレターとして再出発すればよいのではないでしょうか。